ただ事実だけがある日々

事実と感想を切り分ける練習

秋の休日

メルカリで売れた品の発送をしに家を出た。

半袖だと涼しいくらいの気温だ。ハンバーガー屋のテラス席で、ハンバーガーとポテトを食べる。パンにはバターが沁みている。

家に帰り、明日の法事のために香典袋を用意する。

 

NOAH所属のプロレスラー・拳王のYoutubeチャンネルを見る。

拳王の動画で、AbemaでWWEの無料配信が始まったことを思い出す。WWEはあまり分からないが、試しにRAWの大会を1つ見てみる。日本のプロレスに比べマイクで喋る時間が長い。選手を2人覚える。コーディ・ローデスとグンター。

 

砂糖依存?

昨晩炊いたご飯と塩昆布で朝食にした。

冷凍庫にアイスがある。午前中から何度か冷凍庫を開けては閉める。

 

結局アイスは食べずに歯磨きをする。歯ぐきから血が出る。

先日、数年ぶりに歯医者に行ったところ、歯ぐきから血が出ている、歯周病だと言われた。家でのブラッシングでも血が出るか聞かれ、家では出なかったと答えると、「そんなことはないはずなんだけどな」と言う。家では柔らかめの歯ブラシを使っていたが、普通の固さの歯ブラシに買い替えた。血が出るまで磨くと、歯の周りがすっきりとするが、こころもち痛痒い。

 

何日も続けて、甘い物のことばかり考えている。そしてたいして動いていないのに疲労感がある。

白砂糖は依存性があると前に聞いたことがある。砂糖依存についてネットで調べた。歯周病の原因もだいたいは砂糖だという。また、砂糖に依存することによりキレやすくもなるという。

アルコール依存症の母親のことを思い出す。母親は飴ばかり舐めるようになっていて、常に口に飴が入っていないと落ち着かないという。

 

午後、スキンピッキングの薬をもらうために心療内科に行く。

物腰柔らかな先生で、何年も通っているが、いつも、どんな話をしたらよいか分からない。「元気な日が多い」とだけ言った。ひとこと家族のことを聞かれ、短く答え、それだけで診察が終わる。三十秒もあったかどうか、今までで一番短い診察だった。最近ネットで知ったが、じっくり話を聞くようなカウンセリングは保険診療ではないようだ。悩みを話し始めれば数分では足らない。スキンピッキングの症状と、メンタルの上がり下がりに関係があるのかは分からない。

 

病院から家までは、歩くと1時間強の距離だ。

疲労感があったが、歩いて帰ることにした。すり足とすら言えるくらいゆっくりと歩いて帰る。気持ち良い風が吹いていた。

 

散歩の神のお告げに従い、2つ隣の町でカロリーを怖がる

やっと日中の気温が下がってきて、半袖でちょうどよい。散歩日和である。

 

『ドロッセルマイヤーさんのさんぽ神』という、散歩コースのアイデアをくれるゲームがある。これに従って散歩をしてみた。

note.com

 

ペラペラめくれる手のひらサイズの豆本で、前半は「どこで」、後半は「何をする」のアイデアが1ページにひとつ書かれている。これを適当に開き、お告げに従って(従わなくてもよい)散歩をする、というゲームである。

 

Vtuberの月ノ美兎さんが紹介していて知った。

youtu.be

 

 

今回私が開けたページは、「町名を2つ超えて歩いて」「やたらと怖がってみよう」だった。

 

2つ隣の町くらいまでは歩くのにちょうどいい距離なので、すでに散歩に行ったことがある。前に行ったときは入らなかったカフェに入る。

少し暗く、バーのような洒落た雰囲気の店で、男女1名ずつの店員は整った顔をしている。スキンピッキングで鼻の頭の皮を剥いてしまっていて、化粧でもうまく隠せていない私は、とっさに店員と目を見られない。

チョコレートフォンダンを食べた。カロリーを怖がる、という名目だ。生クリームがのったフォンダンは、舌の上でじわりと温かい。

 

閉店まで1時間あるかないかだった。

図書館で順番が回ってきた『コメンテーター』(奥田秀朗)を読む。ドクター伊良部シリーズの最新作だ。最初の一編を読み終わると、外が暗くなっていた。

ごまクッキーにリベンジ

ネット上にあったレシピでごまクッキーを作る。レシピのスクリーンショットを撮り、見ながら作業する。ガリガリとした食感でやみつきになるというレシピで、片栗粉を入れる。砂糖も多めに使う。

前回ごまクッキーを作った時は、生地がそぼろ状になって崩れてしまったので、今回は別のレシピを使った。今回はまとめることはできたものの、やはり脆く、生地を切って天板に並べようとするとポロポロと崩れてしまう。

焼き時間は前よりも低温で長い、150℃で40分だ。待っている間、スマホからそっとレシピのスクショを消す。

 

焼けた。まだ天板が熱いうちにひとつつまむ。固くガリガリしていて、レシピの謳い文句どおりだった。砂糖が多い分しっかりと甘い。すぐに消したスクショを元に戻す。

20枚くらい焼き、10枚近く食べる。

キングダム3作目を見る

『キングダム』の実写化映画を見に行った。

紀元前の中国、秦の中華統一を描く漫画だ。映画はもうシリーズ3作目になる。キングダムは全巻読んでいて、ヤングジャンプも毎週読み、最新回を追っている。巨漢のキャラクター『王騎』を演じる大沢たかおの体の大きさに驚く。役作りのために数十キロ太った、とテレビで言っていた。

主人公の1人である『政』を命を賭して守る、『紫夏』というキャラクターがいる。捨て子だったところを拾われ、慈しんで育てられた彼女は、育ての親の「受けた恩は次の者へ」という信念のもと、赤の他人の政のために身を挺する。そのエピソードも今回の映画に入っていて、何度も見て知っている内容だったが、それでも涙が出る。

 

紫夏には、一緒に育った『亜門』という同じような境遇の仲間がいる。映画では少し改変されていたが、原作では、亜門は時間を稼ぐために自ら馬車を横転させて死ぬ。紫夏は政のために命を賭けるが、密かに紫夏のことが好きな亜門は、政を守る紫夏を少しでも長く生かすために命を使うのだ。馬車を倒す前、亜門は最後に紫夏に向かって「あばよ」と言う。

 

『マッドマックス 怒りのデスロード』という映画に似たシーンがある。

『怒りのデスロード』の『ニュークス』も、恋した女を追っ手から逃がすため、自ら運転するトレーラーを横転させて道をふさぐ。彼は最後に女に向かって”Witness me.”と言う。

亜門の恋もニュークスの恋も、一方的なものである。そして死の間際、彼らの表情はとても冷静だ。

 

「趣味がある人」になりたいだけだった:ウクレレを売る

リユースショップに服を売った、というSNSの投稿を見た。ノーブランドの服でも売れたという。

その店の公式サイトを見てみる。服だけでなく、生活雑貨、楽器まで、幅広く引き取ってくれるらしい。さっそく、不要な日用品を集める。

 

食器。ずっと出番がない、貰い物の陶器やお椀が眠っている。数点を残して、プチプチに包む。

服。買ったっきり着ていない浴衣がある。デザインが好きだが体型に合わないワンピースもある。

アクセサリー。フリマアプリでも売ったりしているが、ノーブランドのものは売れづらい。

 

それから、ウクレレである。

5年ほど前に買って、少しいじった後は全然触っていない。

フリマアプリで売るのもコスパが悪い。そこそこ大きいので入る段ボールが見つからないし、高値がつかないわりに送料がかかるからだ。それでも捨てないでいた。

 

高校の卒業アルバムには、クラスでの写真や部活での写真などとは別に、「好きなものと一緒に撮る」というコーナーがあった。好きなもの、趣味を同じくする人たちでグループに分かれて写真を撮るのだ。私には、趣味はなかった。「好きなもの」のアンケートになかなか答えず、アルバム委員から催促を受ける。しいていえば、当時ハマっていたゲームソフトがあったので、それと一緒に写真を撮った。マリオパーティのようなみんなでわいわいやるゲームではなく、一人でやるゲームである。グループではなく、ひとりの写真になった。それ以来、定期的に「大人 趣味」などで検索している。

 

高校のとき、友達に誘われてバンドを組んでいたことがある。キーボード担当だったが、たまに遊び感覚で友達のギターを借りた。家でいじっていると、母親は「ギタリストになるんじゃないんだから」と怒った。ほんの1時間ほど触っていただけだが、母親は昔から、私が勉強以外のことをするのを極端に嫌がった。

 

大学のとき、中古楽器屋でベースを買った。ニコニコ動画で、アニメソングのベースパートを弾きこなす動画を見たからだ。私とは別のバンドにいた美人な高校の同級生も、ベースが弾ける子だった。買ってすぐ、「ベースを始めた」とSNSに投稿した。たくさん『いいね』をもらえ、「すごい」というコメントもつく。いざ触ってみると弦が太く、押さえると指がかなり痛い。コードも覚えないうちに弾かなくなり、何年かしてから中古楽器屋に売った。

同じくまだ学生のころ、当時つきあっていた人がギターを弾いていて、今度はアコースティックギターを買った。弦もベースより細い。今度は、友達には誰も、ギターを始めたことを言わなかった。1か月くらいは練習した。簡単なコードで構成された『少年時代』の譜面は弾けるようになったが、難しいコードは押さえられない。また飽きた。これも中古楽器屋に売った。

そして社会人になってからまたウクレレを買って、同じように弾かなくなり、数年がたったのである。仕事を辞めて時間ができてからも、一度も弾いていない。

 

ベースを買ったときも、ギターを買ったときも、ウクレレを買ったときも、これといって弾きたい曲があるわけではなかった。そもそも最近は、音楽自体あまり聞いていない。これまでの人生で熱狂したアーティストも、そうたくさんはいない。

私はまるで義務のように、趣味、それも見栄えがよく、人に話しても減点されないような「趣味」を探していただけだった。

 

働いていない今、私はあり余る時間を読書とゲームに使っている。どちらも、てらいのない子供のころにやっていたことだ。

最近も懲りずにカルチャースクールに行ってみたり行かなくなったりしているが、とりあえず私は、ようやくウクレレを売る。

 

根津神社にお参り:袖振り合うも多生の縁?

根津神社に行ってきた。

仕事を辞めてから、月に1,2回はどこかしらの神社に参拝している。

 

広い神社である。本殿のほか、西側には千本鳥居をくぐって向かう乙女稲荷、北川には駒込稲荷がある。平日の昼間だが、境内はそれなりに人気があった。

 

千本鳥居は小さく、低く、女性として平均的な背の高さの私ですら少し身をかがめて通る必要がある。さながらトンネルのようで、すれ違うにはお互い横向きになる必要があるほどの狭さだ。

外国人の2人組と鉢合わせる。鳥居が途切れるところで横によけ、待っていてくれた。

小走りになって切れ目まで行く。サンキューと言えず、目も合わせず無言で頭を下げる。向こうも少し頭を下げたように見える。

 

もう少し上ると、老夫婦とおぼしき男女が来る。

立ち止りかけると、「いいですよ、我々が退がります」と男性が言う。「いえいえ、そんな」と今度は声を出し、次に鳥居が途切れるところまで行って横によける。

「すみません」と笑顔になって老夫婦が通る。「どっちから進むのが正しいのか分からないわね」と女性が笑う。先ほどの外国人2人組には何も言葉をかけなかったことを思い出す。

 

鳥居の終点の駒込稲荷まで行くと、神職が祝詞を奉上していた。数人が見守っているので、その輪にそっと混じる。「かしこみかしこみ」と聞こえてくる。しばらく見物していると、お祓いをしてくれた。

 

蒸し暑いが、8月のような酷暑ではない。風が強く、木々を揺らして広い境内をどっと吹き渡る。腕を少し広げ、脇に風を通した。

ベンチのような石の上に、ぽつんとひとつ、松ぼっくりが置かれている。

 

境内には見どころが多い。ひととおり歩いて回ったが、『文豪の石』というものが見つからなかった。夏目漱石や森鴎外が参拝したときに腰を下ろしたという石だ。境内案内の看板を見に行く。帽子をかぶった高齢の男性とすれ違う。彼はそのまま松ぼっくりのある石のベンチに腰を下ろす。

看板によれば、手水鉢の横の道にあるらしい。通ってきた道だが、もう一度行ってみる。それらしき石が見つからないまま、行って返ってきた。

もう一度看板を確認して、はたと、高齢の男性が休憩している石が『文豪の石』なのだと気がつく。しげしげと彼を見る。彼は松ぼっくりのあったあたりに荷物を下ろし、スマホを横にして、何やら熱心にスワイプしていた。