ただ事実だけがある日々

事実と感想を切り分ける練習

「趣味がある人」になりたいだけだった:ウクレレを売る

リユースショップに服を売った、というSNSの投稿を見た。ノーブランドの服でも売れたという。

その店の公式サイトを見てみる。服だけでなく、生活雑貨、楽器まで、幅広く引き取ってくれるらしい。さっそく、不要な日用品を集める。

 

食器。ずっと出番がない、貰い物の陶器やお椀が眠っている。数点を残して、プチプチに包む。

服。買ったっきり着ていない浴衣がある。デザインが好きだが体型に合わないワンピースもある。

アクセサリー。フリマアプリでも売ったりしているが、ノーブランドのものは売れづらい。

 

それから、ウクレレである。

5年ほど前に買って、少しいじった後は全然触っていない。

フリマアプリで売るのもコスパが悪い。そこそこ大きいので入る段ボールが見つからないし、高値がつかないわりに送料がかかるからだ。それでも捨てないでいた。

 

高校の卒業アルバムには、クラスでの写真や部活での写真などとは別に、「好きなものと一緒に撮る」というコーナーがあった。好きなもの、趣味を同じくする人たちでグループに分かれて写真を撮るのだ。私には、趣味はなかった。「好きなもの」のアンケートになかなか答えず、アルバム委員から催促を受ける。しいていえば、当時ハマっていたゲームソフトがあったので、それと一緒に写真を撮った。マリオパーティのようなみんなでわいわいやるゲームではなく、一人でやるゲームである。グループではなく、ひとりの写真になった。それ以来、定期的に「大人 趣味」などで検索している。

 

高校のとき、友達に誘われてバンドを組んでいたことがある。キーボード担当だったが、たまに遊び感覚で友達のギターを借りた。家でいじっていると、母親は「ギタリストになるんじゃないんだから」と怒った。ほんの1時間ほど触っていただけだが、母親は昔から、私が勉強以外のことをするのを極端に嫌がった。

 

大学のとき、中古楽器屋でベースを買った。ニコニコ動画で、アニメソングのベースパートを弾きこなす動画を見たからだ。私とは別のバンドにいた美人な高校の同級生も、ベースが弾ける子だった。買ってすぐ、「ベースを始めた」とSNSに投稿した。たくさん『いいね』をもらえ、「すごい」というコメントもつく。いざ触ってみると弦が太く、押さえると指がかなり痛い。コードも覚えないうちに弾かなくなり、何年かしてから中古楽器屋に売った。

同じくまだ学生のころ、当時つきあっていた人がギターを弾いていて、今度はアコースティックギターを買った。弦もベースより細い。今度は、友達には誰も、ギターを始めたことを言わなかった。1か月くらいは練習した。簡単なコードで構成された『少年時代』の譜面は弾けるようになったが、難しいコードは押さえられない。また飽きた。これも中古楽器屋に売った。

そして社会人になってからまたウクレレを買って、同じように弾かなくなり、数年がたったのである。仕事を辞めて時間ができてからも、一度も弾いていない。

 

ベースを買ったときも、ギターを買ったときも、ウクレレを買ったときも、これといって弾きたい曲があるわけではなかった。そもそも最近は、音楽自体あまり聞いていない。これまでの人生で熱狂したアーティストも、そうたくさんはいない。

私はまるで義務のように、趣味、それも見栄えがよく、人に話しても減点されないような「趣味」を探していただけだった。

 

働いていない今、私はあり余る時間を読書とゲームに使っている。どちらも、てらいのない子供のころにやっていたことだ。

最近も懲りずにカルチャースクールに行ってみたり行かなくなったりしているが、とりあえず私は、ようやくウクレレを売る。